ロマ・ホロコースト・キャンプ

最終日 慰霊祭
ロマとは、私たちにとってはジプシーの名で知られており、インドを出自とした移動生活をしてきた民族と言われている。ジプシーとは外部者による呼び名で、ヨーロッパ各国で様々な呼び名があるようだし、たくさんのバンドがあると聞いている。音楽や彫金などのアート技術に優れて生計を立ててきたようだ。


現在は定住している人たちがほとんど。
共通していることは、ヨーロッパ全土で差別の対象になってきたこと。ドイツでは、ロマ狩りが行われ、ハンティングの的になった時代もあったと聞く。


第二次大戦では、ロマの3人に2人がホロコーストに遭っているが、総数は不明だそうだ。


ロマ・ホロコースト・キャンプは、これまで19年間続いてきた。会場近くの森で、1943年93人もの老若男女(ことに子どもたちが多い!)が、ドイツ憲兵などに虐殺され、その慰霊碑が立っている。5歳の時におばあちゃんに手を引かれて逃げ延び、現在、唯一のサバイバーの女性、遺族の親類縁者が集まり、慰霊祭が行われた。これには、ドイツ政府からも公式の役人が立会い、過去に行われた過ちに対する謝罪のスピーチも行われた。

このキャンプは、同時に、近隣で定住生活を余儀なくされたロマの人々が、一同に会して旧交を温め、アイデンティティを確かめ、さらに、かつての流浪の暮らしへのノスタルジーでもあると聞いた。
ロマの人々の気さくさ、明るさの中にある哀しさを、その音楽を通しても感じた2日間でもあった。