監督:宮田 雪(きよし)プロフィール

-映画「ホピの予言」を生んだ時代-

 1945年3月大雪の日に秋田県で生まれる。
 幼年~青年期を東北・北海道で過ごし、早稲田大学文学部に入学。在学中、 安保闘争・ベトナム反戦など学生運動の嵐が吹き荒れる中、「ワセダミステリークラブ」に所属し、映画評論や詩などを書き始める。大学後、熱狂的なファンであった映画監督鈴木清順氏に一時師事し、助監督の仕事を学ぶが、その後脚本家としての道に入る。87年まで漫画・劇画・テレビアニメ・テレビドラマの脚本を多数手がける。
 70年代初頭に、『チベット死者の書』を翻訳・出版したおおえまさのり氏と共に「オームファンデーション」を開き、精神世界を源流とする自己と社会の変容を実現しようとする運動ーニューエイジーの胎動期に身をおくこととなる。
そして、インドに旅し、「非暴力による世界平和」に一生を捧げた仏教僧と出会い、その出会いが彼の人生に深い影響を与えた。「大地と生命を敬い、創造主への信仰のもとに生きてきたネイティブ・ アメリカンの精神文明こそが近代物質文明を変えるだろう。」という高僧の言葉に彼は大きく動かされることになる。78年アメリカで行われたネイティブ・アメリカン自身による権利回復運動としての 行進「ロンゲストウォーク」に参加し、そこでホピの予言のメッセンジャーであったトーマス・バンヤッカ氏と出会う。
 ドキュメンタリー映画『ホピの予言』はその出会いから7年の歳月を要して、1986年に完成。87年から始まった上映活動は、86年4月に起きたチェルノブイリ原発事故を警鐘と捉えた反原発運動のうねりにのり、自主上映として全国に広がった。88年夏にはトーマス・バンヤッカ氏のホピ独立国パスポートでの日本入国に寄与し、広島~北海道幌延のネイティブ・アメリカンの祈りのランニングに呼びかけ人として関わった。
 その後89年から6年をかけて日本とアメリカを頻繁に行き来し、第2部の製作に打ち込むが、95年3月編集作業に入る直前のカリフォルニアで脳内出血のため倒れる。一命はとりとめたものの、重度の後遺症が残った。


宮田雪の主な脚本作品
テレビアニメ

「あしたのジョー」、「ルパン3世」、「海のトリトン」、 「ムーミン」など


漫画・劇画原作

上村一夫: 「馬の首黙示録」、「さろめ」など
真崎守: 「環妖の系譜」、「ゆきをんな」、「白い伝説」など
水木しげる: 「ゲゲゲの鬼太郎ー犬神大戦記ー」、「ノストラダムスの大予言」、 「耳なし芳一」、「東海道四谷怪談」


テレビドラマ脚色

「探偵物語」、「西部警察Part2」、「西部警察Part3」、「気分は名探偵」など


ラジオドラマ脚色

「シュナの旅」 宮崎駿原作