特集・〈いのち〉の声をきく

未来へ続く道

「ホピの予言」に私を導いたもの   宮田雪

 (二)
  半年後、上人の言葉は現実となった。アメリカインディアンによる非暴力革命の第一歩が記されることになった。インディアンの人々が合衆国の圧政に対して、アメリカ大陸を横断する「ザ・ロンゲスト・ウォーク」を開始しているというニュースを、やはりコンチネンタル・ウォークを歩いた河本和朗君が伝えてくれたのだ。彼の手紙によれば、行進はサクラメントから一三五マイル、ネバダとカリフォルニアの国境まで四八時間をノンストップで歩き、全米から集まった多様の部族が、ピースパイプを先頭に捧げ持ち、以後、一日平均五十キロの猛スピードで、酷寒のシェラネバダを越え、雪のロッキーを越え、ワシントンDCに向かって歩いているというのだ。その行進をオーガナイズした一人がリー・ブライトマンだった。インディアンは自らの信仰する偉大なる精霊、グレイトスピリットヘの祈りを信念として圧政そのものにストップをかけようとしているのだった。それはまた、わたしたちが仏さまへの祈りである南無妙法蓮華経を唱えることで核兵器の廃絶を願いヒロシマヘの道を歩いたことと同じ道の上にあった。

 当時日達上人はスリーランカに御仏舎利塔を湧現されておられたが、直ちにお弟子たちにこの行進への参加を命じられ、自らも九四歳のお年でありながら行進の成功を祈るため

にアメリカに渡られ、共に歩かれることを誓願された。

 ウーンデットニイを始めとして、武装閲争を続けてきたインディアン運動のリーダーだったデニス・バンクスが逃亡中にリーの家で逮捕され、カリフォルニア州だけがデニスを保護するという状況のなかで、インディアン運動自体が大きな転換を迫られ、リーやデニスは、運動の方向性を日達上人の教えから学んだのだということを、アメリカに渡るために一時帰国した峰松上人からわたしは聞いた。あの広島でのリーに語った日達上人の言葉をわたしは新たな感動を持って思い出していた。数日後、わたしはスリーランカから帰国された日達上人から次のような言葉を開くことになった。

 「インディアンの使命は、自分が『民族の生きてゆく道を探す』『失った国土を取り返す』そういうことではなく、世界の平和を作る上の中心の働きをする。それがインディアンという民族の今まで生存してき、今日の時代を救うために信仰生活を続けて平和を求めてきた所以です。インディアンの使命は世界を救う、そこにあります。使命を信じて立つときに、目に見えない神様方が皆我々の味方になる。どんなことでもいい、インディアンを助けなければならない」

 それからしばらく立ち、上人の掛錫していたお寺に泊まっていたときのことである。朝の勤行が終わり、上人の部屋で御挨拶をするのが日本山の習慣になっていたが、その朝、突然私は上人に呼ばれ、前に出ることになった。いったいなんなのか、訳が分からずただ合掌していたわたしに上人は「写真代」と書かれ御供養の入った封筒を差し出された。まるで冷静さを欠いていたわたしには、それがなにを意味しているのか、理解出来るだけの心の余裕もなく、ただうろたえるという醜態をさらすしかなかった。写真代というその封筒に書かれた文字が、わたしにインディアンの使命というものを広く伝えよ、という意味であり、そのための仕事を仏さまはわたしに与えられたのだ、と冷静に受けとめるようになるまでにはしばらく時間が必要だった。

 数日後、ロスアンゼルスヘ向けて旅立ったのだが、着いた翌日、ひとつの平和行進がわたしを待っていた。それはロス郊外のスタジアムで行なわれる反核集会の成功を祈るための行進で、ニューヨークで開かれる第一回国連軍縮総会に呼応するものだった。

 わたしは日本山のお坊さんたちとロスの街を太鼓を叩きお題目を唱えて歩き、大勢の反核を願う人々の拍手に迎えられ、スタジアムに入っていった。 そして、その日、ダニエル・エルスバーグらと共にスピーカーとして集会に参加するためアリゾナからヒッチハイクでやってきたひとりのインディアンにわたしは出会うことになった。彼がホピのメッセンジャー、トーマス・バンヤッケその人だった。わたしは日達上人と、仏さまの導きによりインディアンをサポートするために日本からやってきたことを告げると、トーマスはわたしの顔をじっと見つめ、やがて傍らの古いトランクの中から一枚のカンバスに書かれた絵を出してわたしの前に広げた。

 「わたしたちはあなたたちがやってくることを知っていた。あなたたちは特別の役割、使命というものを持った人たちで、太陽(タワ)のシンボルを持つ人々だ。わたしたちは遠い昔から、あなたたちのことを知っていた。遠い昔に、わたしたちの土地からあなたたちは他の土地に別れていったが、ある日、帰ってきてわたしたちを助け一緒になって、この核によって滅びようとする世界を浄化していくだろう、ということがわたしたちの予言に伝えられていたんだ」

 カンバスの隅には太陽のシンボルが書かれてあった。ホピの聖なる谷間に残されている岩絵から写したもので、これがホピに古代から伝わる予言なのだとトーマスはわたしに説明してくれた。だから、我々は逢か昔からあなたたちが帰ってくることを知っていたのだ、と。わたしは、その絵をどこかで見たことがあるような気がした。初めて見る絵に違いないのだが、記憶のずーっと彼方にある、いのちの源とでもいうべきものとめぐり会ったような気がしてまるで魂を吸いとられたようにその不思議な絵に見入った。

 トーマスは、一九四八年にホピのションゴパビ村で行なわれた四日間の長老たちの特別のミーティングで選ばれた三人の予言を伝えるメッセンジャーの一人だった。その四日間の会議は八つの村に別れているホピの伝統社会のなかでそれぞれ伝えられている古代からの知識を初めてひとつの場で検討されるためのものだった。

 「太陽のシンボルを持つ国が『灰のつまったヒョウタン』を二つ空から投下され、世界を震撼させるだろうということが予言されていたんだ。それが、あなたたちの国、日本のヒロシマとナガサキで起こったことだった。この文明がこのまま進めば三つ目の『灰のつまったヒョウタン』が落ちる。それもこの大陸にね。だから我々は警告しているんだ」

 灰のつまったヒョウタン、それは原爆のことであり、しかもヒロシマ、ナガサキヘの投下が予言されているというのだ。インディアンが伝承してきたこの予言をわたしはそのとき初めて知った。

 自分の出生の原点にあるヒロシマに向かって歩いたその半年後にこんな啓示に出逢ったことをわたしはただ運命と感じる他はなかった。「その予言はいつの時代から伝えられたものなのですか」

 かなり興奮していたわたしの顔を驚くことはないという風にトーマスは見つめていた。

 「わたしたちの祖先からだ。あなたの祖先でもある。そう、すべての人類の祖先に昔、これはグレイトスピリットから与えられた啓示、ライフ・プランだ。わたしたちは、いついかなる時でもこのプランに従って生きてきた」

 トーマスの説明によれば、過去においてグレイトスピリットの教えに従わなかった人々と国家は、戦争によって破壊され、日本が第二次大戦に原爆を投下されたのも、そのグレイトスピリットの戒めのためだというのだ。

 「太陽のシンボルを持った国は、『灰のつまったヒョウタン』によって一度滅ぶが、その後に新しい世代が立ち現われる。その人たちが今度こそグレイトスピリットの教えに従い、わたしたちを助け、この世界の荒廃を救っていくだろう。だからあなたたちがこの大陸にやってきた人だ」

 トーマスは、自分は三人の選ばれたメッセンジャーの最後の生き残りだといい、全米各地で開かれる反核や、反原発などの集会に出ては、この予言を伝え回っているのだと言う。わたしの思いを察したのか、トーマスはこう言った。

「きっと、また、会えるだろう」