『テツカ・イカチ』について

テツカ・イカチ ~大地と生命~

 『テツカ・イカチ』は、アメリカ先住民族ホピのホテヴィラ村を中心とする伝統派の長老たちが、1975年から1991年にかけて44号発行した英語による機関誌(ニューズレター)で、「大地といのち」という意味です。ホテヴィラ村は、他の文化・宗教などからの干渉や圧力に不服従を貫き、偉大なる精霊との約束を守ったホピによって1907年に創立され、「伝統派、最後の砦」といわれました。

 やがて、アメリカ合衆国の政府ともいえるホピ部族政府との対立が高まるなか、さまざまな批判と攻撃をかわしながら、16年間にわたり、長老たちはホピの伝統的なもの見方を世界に発信しました。そして、どのようにして母なる地球の上で平和に暮らし、大地といのちと調和して生きるかを、多彩な記事を交えながら、次世代の私たちへ伝えています。

 この全44号日本語版の発刊は、翻訳者・永峰秀司氏の協力を得て、2008年初夏、ランド・アンド・ライフのプロジェクトとして呼びかけられ、多くの有志による有形無形の支援とご寄附によって進められました。本書は、翻訳者や編集者の解釈を交えず、原本『Techqua Ikachi』にできるかぎり沿って、44号の合本として1冊にまとめています。 プロジェクトの発足から6年、2014年冬至に発刊することができました。伝統的なホピの生き方とものの見方を学び、次の世代の子どもたちへ、いのちの環を引き継いでいくために、繰り返し読める教科書、歴史証言の資料となることを願っています。

なお、「教えに値段をつけて売ってはならない」というホピの考え方に学び、値段をつけず、任意の額のご寄付を頂戴してお分けしています。どうぞお問い合わせください。

『テツカ・イカチ ~大地と生命~』

副題 : アメリカ先住民、ホピの伝統的なものの見方
語り : ホテヴィラ村伝統派長老 (翻訳:永峰秀司)
体裁 : B5版 343ページ
発行 : ランド・アンド・ライフ(2014年12月22日冬至発行)

完売いたしました。
ありがとうございました


『テツカ・イカチ』 頒布ご案内

頒布 : 任意の額のご寄付+送料

テツカ・イカチ』は非売品です。

『テツカ・イカチ』や、またランド・アンド・ライフの活動に
賛同してくださり、ご寄付くださる方にお分けさせていただきます。

手にとっていただいてから、ご寄付をお振込みください。

ご理解・ご協力のほど、よろしくお願いします。

送料 1冊360円、2冊510円、(3冊以上の場合は、実費ご負担をお願いいたします)

申込方法 1 お問い合わせページからお申し込みください。

その際、「お名前」、「お届け先」、「ご希望の冊数」、「電話番号」、「メールアドレス」をお知らせください。
郵便振替用紙を同封してお届けいたします。

00910-6-321008  テツカ・イカチ基金

申込方法2 : 銀行振り込みをご利用の場合も、上記の情報をお知らせください。

近畿労働金庫 神戸支店642 普5271091 辰巳玲子

完売いたしました。
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2014冬至 テツカ・イカチ(日本語版)発刊に寄せて

ランド・アンド・ライフ 辰巳玲子

テツカ・イカチ ~大地と生命~

『テツカ・イカチ』日本語版発刊プロジェクトは2008年6月15日、ランド・アンド・ライフの呼びかけによって、有志の協力を得て発足しました。ホピ長老方の伝統的なものの見方を学び、地球の上に生きる者として平和に暮らすために役立てることを趣旨としています。さらに歴史の証言として、次の世代へと引き継ぎ残していきたいと考えました。

そのため、オリジナルに準じた資料に近い形態を選びました。加えて、苦難の中にあって、トウモロコシを育て、祭礼を守り、砂ぼこりの舞うメサの上から発信し続けたホピ長老がたの、そのひたむきさと素朴さを形に込めたつもりです。

これまで6年半もの道程は決して平らかではなく、関わる者の人生模様と内面の学び、そして時代の意識と共にありました。「偉大なる浄化の日」とも受け取れる3.11から、3年9か月経った今、ようやくみなさんにお届けすることができます。プロジェクトに関わり支援して下さったすべてのみなさま、お待ちくださり、ありがとうございました。

発行日2014年12月22日は、19年に一度巡ってくる「朔旦冬至」です。太陽が復活する冬至と、月が復活する「朔日(新月)」が重なる特別な日で、古来より大切にされてきたということです。ホピでは、聖なるお山からカチーナを村に迎えるにあたり、村は静まりかえり、一年で最も大切なソヤルの祭りが執り行われます。冬至は一年の始まりであり、ホピの生きる道が示され、生命が一新される時です。

この冬、日本は戦争の道へと大きく舵を切りました。さらに、福島原発事故でさえも省みることなく、再び原発稼働へ向かおうとしています。建設に伴う利得だけを目的としているかのような、取り返しようもない自然破壊の公共事業、リニヤモーター工事が、いまだ進んでいるのです。沖縄の基地問題では、豊かな自然と共にある暮らしの中にこそ平和があるという声に耳をふさいでいます。海、空、生き物たちからの声は届かないのでしょうか。
今年、日本列島各地で、これまで経験したことのない降雪と降雨による災害に見舞われ、地震と噴火は、母なる地球が活発に生きていることをあらためて教えてくれました。私たちの所業への警告であるかのように。
私たちは崖っぷちに立っています。だからこそ、陰極まって陽と転じて、いのちの輪に還る、生命の再生の時が来ているのではないでしょうか。

最後になりましたが、「冬至が待ち遠しい」という言葉を残して旅立ってしまった翻訳者・永峰秀司さんに、心よりの感謝と哀悼の意を表します。表紙のオレンジ色はあなたが立ったアリゾナの大地、薄小豆色は、ホピのスピリットと身体を養ってきたブルーコーンの粉です。永峰さんにこの色を捧げます。

ご病気の後も、私たちの往く道を照らし続けてくださっている北山耕平さん、プロジェクトの最初からずっと変わらず一緒に歩いてくれたまるちゃんこと丸山仁さん、ほんとにありがとうございます。南相馬・同慶寺ご住職田中徳雲さんからは、「若い世代のこれからの指針となるために」と3.11後、発刊に向けて背中をぐっと押していただきました。プロジェクトを支え続けてくださり、感謝しかありません。編集者・高橋利直さん、松栄印刷所・桝田屋昭子さん、カメラマン・矢郷桃さん、救現堂・秋山太一さん、原本を求めた旅をサポートしてくださったKayoko&DavidとKenさんには、殊にお力添えをいただきました。ありがとうございます。そして、温かい心と手を差し伸べてくださったホピフレンドが、たくさんいてくださることを書き加えたいと思います。

そのような人のつながりの中に、40年も前に、未来へ続く道への布石を投じ、密かにこの大地に種を蒔いてくれていた宮田雪の存在が浮かび上がってきています。

『テツカ・イカチ』が、3.11後のこれからを生きる私たちの希望となり、未来へ続く道へと展開していきますよう。今後とも歩みを共に、よろしくお願いします。

2014年12月19日 冬至を前にして

テツカ・イカチ 宮田雪

テツカ・イカチ(日本語版)発刊に寄せて

同慶寺(福島県南相馬市小高区) 田中徳雲

南相馬市 同慶寺 田中徳雲住職
同慶寺 田中徳雲 福島原発の見える海岸にて

 

 

 

 

 

 

 

 

    

大地が揺れ、裂け、海が溢れて、たくさんの人々が命を失い、原子力発電所が大爆発を起こし間もなく四年、、、。今なお十七万人の人々が避難生活を余儀なくされています。それは十七万通りの避難生活者物語があるということ。この生活は、支えてくださる方たちのお陰で楽しい時もありますが、ほとんどは厳しく辛いものです。

長期化しているので心身ともに、疲弊し、どのくらい疲れているかもわからなくなっています。疲れているのか、もしかしたら被爆によるブラブラ病の類なのかも分かりません。

心は見えないので、私たちの心がどれ程傷ついているかも、理解していただくのは難しいと思います。例えてみれば、私たちの心は、傷口が大きく開いたまま、一時は血がだらだらと流れていたと思います。

時間の経過と共に血は止まりましたが、傷が治ったわけでも、癒えたわけでもありません。

なんとか、分厚いかさぶたができた状態ではないでしょうか。

傷口がなかなか癒されない大きな理由の一つが、誰もちゃんと責任を取らないし、取れない、それどころか真心のこもった謝罪もないことにあると思います。

生活は根こそぎ変わり果ててしまいました。それを加害者側はお金で精算すると言ってます。お金で計れないもののほうが世の中には多いはずなのに、そしてなにより、いのちを根底から支える。大地と水、海に、放射能が入り込んでしまいました。

私たちは福島で生活を続けても良いのでしょうか?冷静に判断すれば答えはNOです。

チェルノブイリや世界中の負の経験から学べば、被爆は子どもの子どもにまで影響が出ています。しかし、現実は、帰還政策の中でふるさとのなるべく近くで生活をしたいと考える人たちを放っておくことは、今の私にはできませでした。悩みながら今できることをしています。

そんな環境で今起きていることの真実を伝え、何度でも脚下照顧するために、私はテツカ・イカチ(日本語版)の発行を応援させていただきました。

テツカ・イカチは伝統派長老達の闘いの記録であり、メッセージであり、遺言です。

私は、地球と共に生きた先人達の生き方、考え方を知り、今からでもできる限り軌道修正ができれば、大難を小難に変えることができると思っています。

偉大なる浄化の時を迎えた今、生き方が問われています。生活の質を見直していきましょう。大切なのは大地(テツカ)といのち(イカチ)です。一度目覚めたら後戻りはできません。自らが変化の一部になっていきましょう。社会や自身の限界を超えて、和合と融合、寛容の中に進化する時だと思います。

 イモ虫から蝶へ

 野ねずみからイーグルへ。                      合掌

南相馬市 福島原発の見える海岸

TECHQUA IKACHI 発刊に寄せて

高崎・救現(くげん)堂  秋山太一

 「見えない世界をどれだけ意識できるか」。福島原発事故はそのことを突き付けてくれている。私たちの日常が、近代文明の物質に依存しきった警告でもある。今、福島という現場に立つと、臭いもない、色もない、五感で感じられない放射能に、人々が住むことができなくなった廃墟の村を経験する。

物の豊かさを追うことで、大地や全てのいのちと平和に暮らすことを忘れた、大都会東京を維持するリスクは、福島の大地、海、草木や魚、鳥を、人々の暮らしとともに、今も破壊し続けている。「一村を犠牲にして国が成り立つ訳がない、そのことが解らないなら、国は滅んでいるのも同然」と、私が学んだ、明治の足尾鉱毒事件の田中正造は政府を糾弾している。

チェルノブィリ事故から4年目の1990年に、私たちはSACRED RUNで3か月走ってヨーロッパの国境を越え、モスクワにたどり着いた。その当時ソビエト連邦は国家崩壊の危機を迎えていた。デニス・バンクス氏たちは「母なる地球」のこどもたちは、すべてが繋がりあい、All Life is Sacredと、インディアンのメッセージをソビエト政府クレムリンに届けた。

「国破れて、山河あり」。国が崩壊しても、母なる大地や、海があれば国はまた蘇ることができる。しかし、チェルノブィリや福島の事故はそうであろうか。

足尾鉱毒事件の田中正造は、山川(さんせん)養護会、ふるさと小中村(こなかむら)に農教倶楽部、そして谷中村(やなかむら)の自治村復活を夢みて、臨終に駆け付けた人々を、「事業の継承でなく、同情ならば、おまえたちも敵だ」と厳しく諌める。そして、明治期の足尾鉱毒事件は、富国強兵策の日露戦争に葬られ、忘れ去られる。「戦争」と云う非常事態の演出がすべてを呑込んでしまう。

1986年以来インディアンの思想をより解りやすく、映画『ホピの予言』として紹介したのは、故宮田雪(きよし)監督である。神社田中霊嗣(れいし)のお堂で、若き日の北山耕平さんと奉納上映をし、そののちも、ランド・アンド・ライフ は上映会とインディアン思想の普及を続けてきている。2011年2月に宮田さんが亡くなり、3.11東日本大震災と原発事故が起こる。「TECHQUA IKACHI」は宮田さんが「浄化の日」とともに、日本に紹介したかった歴史の証言に違いない。私たちの暮らしが平和の道でなければ、偉大なる精霊は「浄化の日」を与えるであろうと。

放射能も偉大なる精霊も、目には見えない。シンプルな暮らしと、宇宙の真理に気づかねばならいトキが来ている。広島、長崎、福島と放射能の洗礼は決して偶然ではない。地球を貪り尽くす、大地や海への暴力に気づかない限り、大量消費と云う日常の戦争が、地球全体の戦争へと及ぶ。

私たちは明治期以来、西洋文明の恩恵の裏に地球への暴力を続けてきた。この記録には、今、問われている視点、政治、経済、社会、環境の問題の根本を支える平和思想が、偉大なる精霊の意志として、ホピの長老を通して語られている。

時代が変わるとき、卵の殻の内の雛と、卵の殻の外の親が同時に叩く、「倅啄(そったく)」がある。没後100年が過ぎ、「あるがままを救え」の田中正造の叫びと、ホピの長老が残した「TECHQUA IKACHI」は、「大地といのち」に捧げた不屈の魂の痕跡でもある。

今回、ランド・アンド・ライフの「TECHQUA IKACHI」日本語版出版にあたり、高崎・ 救現堂(くげんどう)が、ささやかであれ、お役に立てれば幸いです。

参考:Facebook 秋山太一、イーグルハウス、HP:救現堂


『テツカ・イカチ』日本語版発刊プロジェクトに寄せて

『テツカ・イカチ』を読み進めるうちに、僕は心の中でわだかまっていたものが、消えてゆく喜びでいっぱいになりました。普段から感じていた理由のはっきりしない違和感、常識という名の押し付け、平等という名の不公平湧き上がる疑問への答えがここにありました。
『テツカ・イカチ』には慰めや同情の言葉はなく、あるのはホピの長老たちが遺した「人として生きるため」の原則です。そこに拠って立てば、離れていた心と身体がひとつになって、本当の人として生きることができるのだと思うのです。
僕は『テツカ・イカチ』をより深く理解するため、多くの人の心と身体をつなぐ架け橋となることを信じて、日本語に翻訳しました。『テツカ・イカチ』を手もとに置いて、いつでも好きな時に読めるよう、書籍の形にしたいと考えています。
ぜひご協力をお願いします。

2008年 秋
日本語翻訳者:永峰秀司

追悼

かねてより病気治療と療養を続けてこられた永峰秀司さんは、2014年11月19日スピリットの世界へと還ってゆかれました。

「人がこの読み物を選ぶのではなく、この読み物が読者を選ぶんだと僕は思っている。
どんな形でもよいんだよ、字が小さくとも、形が稚拙であっても、どんな状態であっても読むはずなんだよ、その人は」 

そのように語っていた永峰さんでした。

この2年間、ご病気と向き合いながら、ホピの示す暮らしと生き方を模索しておられました。時代の変化と流れの中で、このメッセージの重要さを思い、一日も早い発刊を望んでおられ、病床にあっても最後の校正に取り組んでくださいました。
裏表紙に刷り込んだメッセージは、永峰さんが全44号の中から選ばれた一節です。

ここにみなさんにお伝えさせていただき、
永峰秀司さんのご冥福をこころよりお祈りします。

 辰巳玲子 合掌拝


《収支のご報告》

収入 ご寄付 1,569,127円
   物販売  190,000円
支出 編集・印刷製本 1,423,200円
   印刷・交通費・送料・通信・アリゾナ訪問補助 438,028円
収支 -102,101円 

        2014年12月19日現在

ご寄付、ご協力ありがとうございました。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。