特集・〈いのち〉の声をきく

未来へ続く道

「ホピの予言」に私を導いたもの   宮田雪

(三)

  数日して、彼の言った通り、わたしたちはニューヨークで再会した。第一回国連軍縮総会を挟んでニューヨークの各地では核廃絶のための数多くの集会が開かれていて、トーマスは、そのいくつかでホピからのメッセージを伝えるためにやってきていたのだ。

「わたしたちは予言にもとづいてここに来ているんだ。過去にも二度、わたしたちは太古から伝わる聖なる教えに従い、聖なる使命を果たすためにやってきたんだ。ホピの指導者たちは、東方の母なる大地の端にある『この時、ガラスか雲母で出来た家が建ち、問題に直面するすべての人々を助けるため様々な国の指導者たちが集まってくる』と予言されている場所に行く時が来たと感じたからだ。

 わたしたちホピは、ホピや多くのインディアンの兄弟たちの母なる大地が取り上げられようとする時、また、わたしたちのいのちの道が白人の中の邪魔な者たち、白人に影響されたインディアンの兄弟たちに完全に破壊されようとする危機に頻した時にこの場所に来ることになっていたんだ。しかし、いまだかつてホワイトハウスも国連も聴く耳を持たなかった。この国がわたしたちインディアンに対して行なってきた過ちを悔い改めることをしないので、彼らの罪はうず高く積み上げられたままだ。だが、わたしたちの教えでは最低二つか三つここに集まる国の人々がわたしたちに耳を傾け、理解を示すだろうと言われている。彼らもまた、太古からの教えを知っているはずだと言われているからだ。そして、わたしたちホピからのメッセージを聞くと直ちに、彼らはグレイトスピリットからこの地球といのちを守るように委託を受けている選ばれたインディアンに対してなされてきた沢山の合衆国の過ちを正すだろうと言われているんだ」

 わたしは、是非、日達上人に会って予言のことを伝えて欲しいと思ったが、当時、上人は国連に核兵器禁上を訴える要請団と一緒にニューヨークにこられてはいたがスケジュールは多忙を極め、トーマスと幾つかの集会で顔を合わし挨拶を交わすことはあっても話し合う時間を作ってもらうことは難しかった。それでもわずかな時間だったが、ホテルのロビーで会って頂くことが出来た。上人は破顔一笑され、静かに合掌しながら予言の絵をじっと見つめ、卜ーマスの説明に耳を傾けておられた。それから数日後に、わたしが上人の導きでホピのくにを訪れることになるとはこのとき知る由もなかった。

わたしは一日も早くロンゲスト・ウォークヘ合流したかったが、なぜか上人のそばを仲々離れることが出来なかった。ロンゲスト・ウォークは既にイリノイ州にさしかかっていた。今日は行こう、今日こそはと思いながら、そのことを上人に伝えると、決まって上人は微笑まれた。その度にわたしは上人のもとを去り難く、というより、不思議な上人のエネルギーでとどめさせられたという他はない。長旅の疲れを上人はシスコ郊外の温泉で癒されておられたのだが、ある日、二通の手紙を書かれ、その一通がロンゲスト・ウォークのコーディネーターであったデニス・バンクス、そして、もう一通がトーマスにあてられたものだった。それは、二人をこの温泉に招待することで共にロンゲスト・ウォークの成功を祈りたいという上人の慈悲の現われだったと今、改めてわたしは思い出すことが出来る。そして上人はその書簡を持ってホピに行く仕事をわたしに与えられた。シスコに来ていた阿木幸男さんに車の運転をお願いして、わたしはこうして初めてホピの大地、ホピの人々が「At the Center of the Planet(地球の中心)と呼ぶその大地に入っていったのだった。

 フェニックスからフラグスタッフを抜け数時間北へ走り続け、どこまでも続く砂漠の中の一本の長い道の彼方に姿を見せたホピの村はブラック・メサと呼ばれる丁度、三本の指を開いたような、その指の上にあたる場所に存在していた。わたしは、その大地に立った途端、初めてではない、ここには一度来たことがあるという不思議な感覚に襲われた。あのロスで初めてトーマスに予言の絵を見せられたときに感じたものとそれは同じだった。そこが、ホピの教えによれば、わたしたち全ての人類の祖先が初めて前の世界から第三番目の世界と呼ばれるこの世界に脱出してきたときに世界の四つの方向に散っていった大切な土地であり、この地球のバランスを保つための聖地であることを知ったのは、後のことである。

 トーマスは、ホピやディネ(ナバホ)の長老たちと会議の最中だったが、すぐに上人からの手紙を読み、更にそれを全員の前で読み上げた。後にトーマスは、そのときのことをわたしに次のように語ってくれた。

「あの時、わたしたちの主要な精神的な長老たちが集まり三日間会議を行なっていた。その時に藤井グルジーからの手紙が届き読ませてもらったのだが、その時にわたしたちは、今以上にスピリチュアルな生き方を継続していかなければならないということを再認識させられた。そして、グルジーの手紙により、本当にわたしたちの祖先が伝えてくれたスピリチュアルな道が正しいものであったということを確認し、わたしたちに勇気というものを与えてくれた。もし、わたしたちのこうした平和の道に対して誰も耳を貸そうとしなかった場合、必ず海の向こうから誰かがやって来て、わたしたちのスピリチュアルな生き方に対して、言葉を通して鼓舞してくれるだろうということが予言されていたんだ。あの三日間のミーティングで最も大きな出来事はグルジーからのメッセージだった。グルジーのような長老から伝えられるメッセージ、そのスピリットというものは、遥か昔に、このような真実の種というものが植えられて、それが大切に育てられ、今日に伝えられるのだということを強く感じた」

 翌日、わたしは日達上人のもとにトーマスを連れていくことになった。このシスコ郊外の温泉で語られた二人の対談を間近に聞きながら、わたしは、日本を立つときに上人がインディアンの使命を広く伝えよといい、「写真代」として御供養してくれた意味が、このホピに伝わる予言を伝えるためのトーマスの手助けをすることにあったのだと知るのである。ここにその対談の一部を再録したい。

 

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